いろいろ読んだ

過去のブログを読むと、1/26に蘭陵王を読んだらしい。

それから2週間ほど経過し、下記6冊を読んだ。

楼蘭

敦煌

・インド三国志

・非花

・天竺熱風録

・異色中国短編傑作大全

 

「インド三国志」だけは純インドものだか、それ以外は全て中国がメインとなっている。ただ、「天竺熱風録」は中国人がインドで暴れている話のため、両方絡んでいる。

今回は各本の感想について書くのではなく、これだけ読んだことついて述べたい。(本当は各本の感想を書いたほうが望ましいのだが、次から次へと読んでしまって書くことをめんどくさがって、もう6冊分もかかずにいてしまった。小説だから感想はいらないという、よくわからない理屈を隠れ蓑にしたせいもある。実際どんな本でも学べることはあるはずだし、自分自身の心境の変化が生じたとしたらそれはとても価値があることなので、感想を書くべきだろう)

 

小説を読むことの目的

年が明け、中国物の小説を読み進めるうちにかれこれ10冊程度になった。短編集も3冊含んでいるため、冊数に比較してもっと多い物語を読んでいる印象である。今回取り組んだ背景として

①小説を読むことで活字に対する抵抗を減らす

②中国の歴史について詳しくなる

の二点を目標としていたが、これに向かって進んでいると感じている。②についてはどこの国でも良いが、勉強になるからよいと思っている。しかし、三島由紀夫のように、日本語の完成度が高いと言われている作品を読むことで、活字に対する洗練さを鍛えることができるのであれば、②を代替できると考えている。どちらにせよ、小説という軸で①をキープし、②については何かしら効果が見込めれば良いとし、今後も続けて行きたい。徐々に難しい本に取り組んでもよいと考えているため、若干難しい井上靖にも取り組むようになったのは良い傾向だった。

 

井上靖について

余談にはなるが、井上靖の小説を今回始めて読んだが、なかなか僕に合っているようだ。人物描写の深さ、情景描写の深さ、時代考証の正確さ、深さ、のどの要素なのかはわからないが、彼の作品は他の作品より一段階深く感じる。これは新聞記者の経験なのか、30歳になってようやく大学を卒業したからなのかはわからないが、典型的な高等遊民であったと思われる。僕個人の意見としては、高等遊民は人生経験として有益と思うため、きっと彼の人物形成に活き、それが作品にも通じているのだろう。冊数をこなすという意味では、彼の作品を読むことは時間がかかるため、非効率である。ただ、軽い作品ばかり読んでいると、それはそれでビジネス書や自己啓発書ばかりを追いかけていた昔に戻ってしまうので、我慢するべきどころだろう。僕は昔からなぜか早く本を読まないといけないという焦りが心の中にあるので、それを抑えることも、今回の読書習慣形成を通して改善したいポイントである。斜め読みになりすぎており、それは情報取得という面では良いのだけれど、論理を追えないし、なんとなく理解することを繰り返しているだけで身になっていないと感じている。

 

今後

このまま100冊読んだら、何か変わるかもしれないと思っている。本当は学術書にも取り組みたいが、思考体力(読書体力?)がついていかない気がする。学術書に取り組む前段階として、小説を100冊読むのもありと思っている。ただし、100冊にとらわれることなく、自分で学術書を読みたいと思ったら、読んでいきたい。

 

おまけ

明智光秀本能寺の変の前に読んだ句が気になった。

「時は今、雨が下しる、五月哉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読了「蘭陵王」

年末年始の中国旅行で影響を受けたのか、最近中国の歴史物の小説が熱い。先週読んだ「柳絮」に続けて蘭陵王を読んだ。

https://www.amazon.co.jp/蘭陵王-田中-芳樹/dp/4163279008

 

作者は銀河英雄伝説創竜伝で有名な田中芳樹であり、銀河英雄伝説は素晴らしいアニメであったため本小説も期待がもてた。彼の経歴を見てみると学習院大学の博士課程を修了しており、博士に対する尊敬度が高い僕にとっては更に期待を増長することtになった。1952年生まれという時期を鑑みると、大学院の定員も少ない時期であり現在よりも難しかったのではないだろうか?

 

さて本の内容について触れたい。

時代観点

 蘭陵王が活躍した時代は、魏晋南北朝時代の最後にあたり、蘭陵王の死後ではあるが最後は煬堅が随を起こして終わる。「柳絮」は東普の時代であったため、時代としては似ていてその関連も面白いものだった。

 日本では南北朝時代は些末に扱われるが、蘭陵王の時代も周・斉・陳の三国鼎立であり、三国志を同じような時代と言えが、三国志演義のような優れた小説がなかったためか注目度は低い。しかし、歴史的には江南に興亡した六つの王朝は芸術文化面では仏教の流行、貴族文化の隆盛、江南の経済力と生産力の向上など、重要な事実が起きていた。事実、小説内でも仏教について述べられている。そのことについては意義があると思われるし、もっと注目されても良いと思う。因みに柳絮では五斗米道という道教が広まっていたようだ。

 

政治観点

 古代中国の小説を読むと、生死をコントロールすることの難しさと、儚さを感じざる負えない。どの世界でも民主主義が広がり、人権が尊重される前は同じだったとすると、日本でも江戸時代では切り捨て御免があったように、150年前まではそのような時代だったのだろう。それと比較すると現代は非常に安全だし、チャンスもあるだろうということをわかってはいたが、実感する。小説内で登場人物はたくさんいるが、どんどん処刑されているのを読むと強く感じる。

 

物乞い

 高緯(皇帝)が物乞いの前をして憧れるシーンがある。その中で「人生の虚しさをやたらと口にするのは帝王としての義務や責任を放り出す口実にすぎなかった。」という言葉に感銘を受けた。諦めるということは義務や責任を放り出していることに自分はわかっていなかった。

 

 

 

気に入ったフレーズ

「月の気をあびて、身と心を清めよう。でないと、とても眠れない」

「月下の中庭は青白く沈んで、海底のようであった」

 

 

 

 

 

 

 

 

「柳絮」を読んだ

久しぶりに小説を読みたくなり、「柳絮」という中国普時代のものを手にした。

https://www.amazon.co.jp/柳絮-中公文庫-井上-祐美子/dp/4122035503

 

僕は知らなかったが、「柳絮の才」という故事成語があり、非凡な才女の例えを意味している。この故事成語の主である、女性がのひとり語り形式の小説であり、当然故事成語のもとになったエピソードも含まれてる。

柳絮の才 - 故事ことわざ辞典

 

さて、結論から言うと、歴史の勉強にもなり面白い小説であった。というか、歴史の勉強もしたいから読んでいる側面もあるため、期待通りとも言える。

①栄枯盛衰

 主人公の女性である道韞(どうらん)は名門の謝家出身であり、同様に名門である王家に嫁ぐことから話は始まる。ただし、王家は往年ほど栄えてはいなかった。祖父の代では8王の乱で混乱、及び匈奴からの侵入により滅んだ普国を、建康(現在は南京)に司馬氏の子孫を連れて帰り東普として再度王朝を設立したときの効一等であった。事実、丞相と大将軍が王家の男であり、そのため「王と馬と天下を共にす」と言われるほどであった。

 しかし徐々に良い人材を輩出することはできず、世間の注目が減り、落ちぶれていくことになった。北からの驚異にさらされることが多く、下剋上の時代には長く名門を維持することができなかった。漢の時代とは異なり王の力が弱く、司馬氏もあくまでも名門の中での筆頭という立ち位置である以上、実力次第で王朝が直ぐに入れ替わる時代だった。名門が落ちぶれていき、実力で新しい指導者がどんどん生まれていた。

 中正という部署が家を9段階でランク分けして、貴族的要素が強くなった。王権が弱い貴族的政治は、トップの思惑ではなく、それ以下の政治の思惑で闘争が起きやすく、破綻が進む。小説内では、部下が成果を出しすぎることに対する恐怖から、中途半端な投資に終ってしまう戦争について述べられている。自分のジョブセキュリティではなく、民の幸せを基大切にするべきではあるはずなのに、自分を守ることを重要視していると言うことだ。ただ、貴族政治も例えば前漢のように強い王権(カリスマ)の下であれば機能するようにも思う。これについては分析が必要だろう。

 長らく続いた貴族政治は、唐の時代に生まれて、宋の時代に完成した科挙によって破壊された。本小説では弱い王権の下での貴族政治の不具合が述べられており、勉強になった。

 また、東普は王が若年で即位し、若くしてみまかられることが多かった(これは五石散という当時流行した向精神薬を服用しすぎたためらしいが)。それに対して、清の時代などは康熙帝乾隆帝といった優れた王が長く政権を維持したため、強い王権のもとで良い政治を行うことができたと言える。ただ、これも諸葛亮劉禅といった忠誠心が高い優れた臣下がいれば、機能するため属人的にうまくいくこともある。(そういう意味では、康煕帝乾隆帝も個人の才覚に依存するため、属人的ではあるが。。。)

 

②移民する難しさ

 東普は北部にある洛陽から建康まで遷都するに、現地の豪族との対立があり、それとの融和が課題であった。北から来た移民は財産がないため、黄籍と呼ばれ、税金や徴兵が免除されていた。一方もともと江南に住んでいた人は白籍と呼ばれ、負担を強いられていた。王導に続く丞相が急速に公平な政策を導入しようとしたところ、北部移民からの反感を買い、殺されてしまった。これはローマ時代のクラッスス兄弟と同じと言える。正しいことを進めることが正しいことと限らない。

 

王羲之について

東普の丞相である王導の子供が、書で有名な王羲之だった。余談にはなるが、1/16-2/24で王羲之を超えた名筆展が開催されており、日本でも知名度は高いことが伺える。この偶然には何か意味があるかもしれないので、セレンディピティを求めてできれば行ってみたいと思う。

 

ganshinkei.jp

 

④情報量の増加

あとがきに書いてあったが、魏普から紙が普及することで、情報量が増えたとのこと。司馬遷史記などもそうだと思われるが、それまでは竹簡や木に墨か朱で書いていたため負担が大きく、最低限の情報しか書いていなかった。しかし、紙というイノベーションが起きることで、事実に加えて人間に関心を持った記述が増えた。それにより作家として人間をかくとっかかりが増えていった。つまり人間を造形しやすくなったといえる。

 上記で記述した科挙についても、紙が発達することで可能になったという技術的イノベーションによる側面があり、紙が社会に与えた影響は大きい。余談ではあるが、日本で科挙が生まれず、封建政治が進んだのは、紙が発展が遅れたためらしい。

 

⑤近代との違い

最近Courseraで1760年以降を扱うModan history の授業をとっていた。この中の近代の定義として、世代で世の中が変わっていることが挙げられていた。小説内では、主人公が世の中は循環しており同じことの繰り返しと述べられているが、これがこの時代の世界観なのだろう。近代、特に最近は一世代を30年と定義しても、大きく異なる世界となっており、これは対象的だと感じた。

 

 

⑥その他

 本記事のように読むといろいろと思うところがあり、自分にとっても有益だと感じる。中国歴史関連の小説は面白そうだから、早速他にも注文した。時間を見つけて読んでいきたい。

 

 

占いによると今年は我慢の年らしい

僕の家は昔からお世話になっている占い師がいる。僕の主観だが家族の中では父→僕→(大きな壁)→長男→次男→母の順で信じていると思われる。

今年の占いを昨日聞いて来たが、今年は我慢の年らしい。ちなみに費用としては占いとお祓いを含めて、一人一回1万円かかる。次男と母はバカらしいのでやっていないが、僕は信心深いので毎年お願いしている。

 

 

①新しいことはしてはいけないとのこと

引っ越しは特にだめで、転職や結婚もだめらしい。デジタルヘルス分野での起業の話もあるが、それはだめということだろう。また引っ越しも検討していたがこちらもだめらしい。なら今の家でどう充実して暮らしていくかを考えなければなるまい。引っ越し代を節約してお金を貯めろというメッセージとポジティブに理解することにしよう。

 

②健康に気をつける

人間関係で空回りをするらしい。そして胃腸と過労の可能性が高いから気をつけろとの事。これはキャンプで自律神経を整えること。そして10km40分で走れる肉体とつくり、料理にこることで解決したい。

 

悪い占いは久しぶりだが、まあ当たるも八卦当たらぬも八卦なので、気にしすぎないようにしたい。むしろこの占いを利用して良い方向に持っていくことを考えたい。お金を貯めるとか、健康になるとか。

 

 

 

 

シャオミに注目している

先日の中国旅行で先輩に誘われてシャオミのショップに行くことになった。全体的に値段の安さ驚き、Apple watchと似ているスマートウォッチも1万円以下の値段で買うことができ、思わず買ってしまった。使ってみて一週間だが、とても良い感じで、Apple watchやFit bitが2万円~4万程度するのに対し、比較はしていないが十分なクオリティを出しているように感じる。少なくとも僕は現状満足している。

一方食器類も店舗で販売しており、家電企業だと思っていたため、???となり、疑問が残った。加えて、テンセント、ファーウェイ、シャオミなど最近中国企業の名前を聞く機会が多いが、実は全然区別がついていない。そんな背景もあり、シャオミについて知りたくなったため、シャオミの本を読むこととにした。

 

www.amazon.co.jp

 

結論から言うと、とても良い本だった。シャオミの哲学等の企業戦略のファンダメンタルな部分は重複し、少々冗長ではあるが、さすが急速に成長した実績がある企業があり、幹部が経験に基づき書いていることからリアリティを感じた。

本の内容については別途まとめたいが、僕の中でシャオミへの印象が非常に良くなった。この本は本の中でも非常に重要視されている、ブランド化を目的として書かれ、僕に効果があったように実際に一役かっている。

人間は何かを排出することに喜びを覚える

今までの経験から、人間は排出することに喜びを感じると思う。排出するものは何でもよく、涙、尿、便、声(歌、会話含む)、運動、外部に影響を与える全てが含まれる。

朝の排便や感動して思いっきり泣くことでスッキリすることは誰もが実感すると思う。そうであれば、運動、勉強、仕事などでも同様に全力を尽くしたい生き物であると考えられる。全力をつくすことは辛いことではあるが、一方で努力している最中にアドレナリンができることもあるし、終わった後はやりきった感を覚える。部活の引退試合や、官僚の試験が終わったときなどは、辛さの一方でやりきった自分を褒めてあげたい気持ちにもなった。

辛さが深ければ深いほど、喜びも大きくなるというのは僕にとって真実であるし、31歳にして人生を諦めたりあがったと思いたくはなく、辛いだろうが全力で取り組みたい。

中の良い同級生の物理博士に「人間は全力を尽くしたい生き物だと思う」と言ったら、彼も同意していたから、人間共通の性質だと確信している。そんなことを考えている時にバイブルである「エースを狙え!」にこんなセリフがあったから、引用して筆を置くこととする。

「慟哭の中にこそ心理があり、真髄が見える。大した苦しみもないかわりに対した喜びもなく、大した努力もしないかわりに対した成果も得られず、ぬるま湯につかったように生きて死んでいく人間が多い中で慟哭を味わえる人間は幸せなのだと。だからその慟哭と真正面から対決しなければ真の人生は行きられない。」

 

最近東洋思想が注目されているから本を本で見た

最近巷で東洋思想が注目されているらしい。万能の思想は現在まで存在しないため、西洋思想に過度に取り組んだ結果の揺り戻しとして東洋思想に注目が集まっている。西洋思想と東洋思想は対義語では無いような気もするが、比較対象として利用されているらしい。

 

昔から東洋思想には興味があったため、先日下記本を読んだ。

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 さすがハーバードでも人気というだけあって、考えさせられる点が多々あった。文中で記述されている解釈が正しいかどうかはわからないが、孔子老子孟子、莊子、墨子の思想について説明した良本だと思った。

 本の内容に触れると、西洋思想と比較して、東洋思想は個人と他人を分けることにこだわらないとう部分がとても気になった。というのも、先日現代文の問題を解く中で、英語と日本語の比較の評論文があり、そこでも同じことが述べられていたからだ。英語は自分と他人を明確にわけることにこだわっており、一方日本語がこだわっていない。例えば、英語で一人称と二人称は「I」と「you」しかないが、日本語では「君」、「あなた」、「僕」、「俺」、「某」、「私」など複数存在している。これは自分と他人の関係性を重要視していることであり、自分と異なるということさえ定義できればよいという西洋(英語)とは異なるとのこと。言われてみれば二人称が相手の属性や自分との関係性も何も関係なく「you」だけで良いというのは、他人に興味がないというイメージを受ける。

 

より東洋思想の理解を深めたいと考えて、二冊目にも手を出した。

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こちらは内容が薄いと感じた上に、超訳がかなり意訳している気がした。自分の外の世界(西洋思想)と内の世界(東洋思想)を比較し、一例として客観的な評価ではなくワクワク(自分の内)を大切にしようということが主張していた。ワクワクが生まれる環境をつくるには「徳」が必要であり、注目されていることの事。

 

一冊目はもう一回読みたいが、二冊目を二回読むことはないだろう。

引き続き東洋思想については学んでいきたい。時間はかかるけれど、そろそろ専門書を読むべきか・・・