「柳絮」を読んだ

久しぶりに小説を読みたくなり、「柳絮」という中国普時代のものを手にした。

https://www.amazon.co.jp/柳絮-中公文庫-井上-祐美子/dp/4122035503

 

僕は知らなかったが、「柳絮の才」という故事成語があり、非凡な才女の例えを意味している。この故事成語の主である、女性がのひとり語り形式の小説であり、当然故事成語のもとになったエピソードも含まれてる。

柳絮の才 - 故事ことわざ辞典

 

さて、結論から言うと、歴史の勉強にもなり面白い小説であった。というか、歴史の勉強もしたいから読んでいる側面もあるため、期待通りとも言える。

①栄枯盛衰

 主人公の女性である道韞(どうらん)は名門の謝家出身であり、同様に名門である王家に嫁ぐことから話は始まる。ただし、王家は往年ほど栄えてはいなかった。祖父の代では8王の乱で混乱、及び匈奴からの侵入により滅んだ普国を、建康(現在は南京)に司馬氏の子孫を連れて帰り東普として再度王朝を設立したときの効一等であった。事実、丞相と大将軍が王家の男であり、そのため「王と馬と天下を共にす」と言われるほどであった。

 しかし徐々に良い人材を輩出することはできず、世間の注目が減り、落ちぶれていくことになった。北からの驚異にさらされることが多く、下剋上の時代には長く名門を維持することができなかった。漢の時代とは異なり王の力が弱く、司馬氏もあくまでも名門の中での筆頭という立ち位置である以上、実力次第で王朝が直ぐに入れ替わる時代だった。名門が落ちぶれていき、実力で新しい指導者がどんどん生まれていた。

 中正という部署が家を9段階でランク分けして、貴族的要素が強くなった。王権が弱い貴族的政治は、トップの思惑ではなく、それ以下の政治の思惑で闘争が起きやすく、破綻が進む。小説内では、部下が成果を出しすぎることに対する恐怖から、中途半端な投資に終ってしまう戦争について述べられている。自分のジョブセキュリティではなく、民の幸せを基大切にするべきではあるはずなのに、自分を守ることを重要視していると言うことだ。ただ、貴族政治も例えば前漢のように強い王権(カリスマ)の下であれば機能するようにも思う。これについては分析が必要だろう。

 長らく続いた貴族政治は、唐の時代に生まれて、宋の時代に完成した科挙によって破壊された。本小説では弱い王権の下での貴族政治の不具合が述べられており、勉強になった。

 また、東普は王が若年で即位し、若くしてみまかられることが多かった(これは五石散という当時流行した向精神薬を服用しすぎたためらしいが)。それに対して、清の時代などは康熙帝乾隆帝といった優れた王が長く政権を維持したため、強い王権のもとで良い政治を行うことができたと言える。ただ、これも諸葛亮劉禅といった忠誠心が高い優れた臣下がいれば、機能するため属人的にうまくいくこともある。(そういう意味では、康煕帝乾隆帝も個人の才覚に依存するため、属人的ではあるが。。。)

 

②移民する難しさ

 東普は北部にある洛陽から建康まで遷都するに、現地の豪族との対立があり、それとの融和が課題であった。北から来た移民は財産がないため、黄籍と呼ばれ、税金や徴兵が免除されていた。一方もともと江南に住んでいた人は白籍と呼ばれ、負担を強いられていた。王導に続く丞相が急速に公平な政策を導入しようとしたところ、北部移民からの反感を買い、殺されてしまった。これはローマ時代のクラッスス兄弟と同じと言える。正しいことを進めることが正しいことと限らない。

 

王羲之について

東普の丞相である王導の子供が、書で有名な王羲之だった。余談にはなるが、1/16-2/24で王羲之を超えた名筆展が開催されており、日本でも知名度は高いことが伺える。この偶然には何か意味があるかもしれないので、セレンディピティを求めてできれば行ってみたいと思う。

 

ganshinkei.jp

 

④情報量の増加

あとがきに書いてあったが、魏普から紙が普及することで、情報量が増えたとのこと。司馬遷史記などもそうだと思われるが、それまでは竹簡や木に墨か朱で書いていたため負担が大きく、最低限の情報しか書いていなかった。しかし、紙というイノベーションが起きることで、事実に加えて人間に関心を持った記述が増えた。それにより作家として人間をかくとっかかりが増えていった。つまり人間を造形しやすくなったといえる。

 上記で記述した科挙についても、紙が発達することで可能になったという技術的イノベーションによる側面があり、紙が社会に与えた影響は大きい。余談ではあるが、日本で科挙が生まれず、封建政治が進んだのは、紙が発展が遅れたためらしい。

 

⑤近代との違い

最近Courseraで1760年以降を扱うModan history の授業をとっていた。この中の近代の定義として、世代で世の中が変わっていることが挙げられていた。小説内では、主人公が世の中は循環しており同じことの繰り返しと述べられているが、これがこの時代の世界観なのだろう。近代、特に最近は一世代を30年と定義しても、大きく異なる世界となっており、これは対象的だと感じた。

 

 

⑥その他

 本記事のように読むといろいろと思うところがあり、自分にとっても有益だと感じる。中国歴史関連の小説は面白そうだから、早速他にも注文した。時間を見つけて読んでいきたい。