大学の図書館にこもってみた

大学の図書館に来ました

 三連休というのに、遠出をするタイミングが無く、昨日今日と大学の図書館に来ている。東京大学はOBに優しく、卒業生カードで在学中と変わらず利用することができる。自転車で10分という立地に住んでいることもあり、便利ではあるのだが、来ることに対する気恥ずかしさもあるため、最近は足が遠のいていた。勉強の休憩がてら、雑多にいろいろ書きたい。

 

外国人は遊ぶことに対するモチベーションが高い

 会社の外国人はみんな三連休に興奮しており「カズは週末に何をするんだ?」と聞かれた。みんな「俺は彼女と長野の温泉に行くぜ」、「スノーボードに行く」等々、プランが充実しており羨ましいという感想の前に、驚いた。みんな人生を謳歌するのがうまいという印象と受けた。日本人が下手とは思わないけれど、外国人は全力で楽しんでいると感じた。正直弊社はホワイトだし、ワークホリック?なにそれ?という雰囲気だ。そのように全力で楽しんでいることが少し羨ましいというか、学びがありそうと思った。僕ももっと積極的に遊ぶべきなのだろうか?

 

大学の図書館にいることで、寂しさが紛れる

 そのような中、僕は図書館に来るという選択をした。一つは、相棒がいないこと、2つ目は旅行に行くことで僕の心の中にある不安は取れないこと、3つ目は寒いためだ。特に、相棒がいない中旅行に行っても孤独感が増すだけで辛い。月に一度は自然に触れたほうが自律神経を整えるのに良いため、山梨に帰ることも考えたが、それは来週にすることにした。図書館に来て驚いたのは、三連休にも関わらずかなりの学生?が来ており、みんな一生懸命勉強していて、寂しさが少し紛れたことだった。結局僕の根源的な不安は、自分の能力に対する不安であって、勉強することでそれが解消されることは間違いがない。寂しさも紛れるとあればこれは良い選択であったと実感している。

 そしてこれは大学の図書館でなければ駄目で、尊敬している東京大学の学生と一緒に勉強できているということが大きい。31歳にもなって、まだ大学にしがみついている気がして恥ずかしさはかなりあるが、効果があるうちは周りの視線を気にすることなく。割り切って開き直ることにしよう。そういう意味では自習室だと効果が見込めないと思われる。言ったことないのでわからないけれど。

 

勉強したこと

主に英語・現代文の2つを勉強した。途中で日本酒の雑誌を読んだりもした。現代文は無事一冊終わったので嬉しかった。早稲田でも合格点がとれていることがあったので、昔よりは成長していることが実感できた。次のレベルの参考書も先程注文したから、それも取り組みたい。

 

現代文からの学び:よく「見る」こととデザインシンキングの類似性

 「見る」ことに対する重要性が複数の問題で述べられていた。確かにデッサンをするとなると、能動的・身体的にものを「見る」ことになり、見方が大きく変わるというのは納得できる。小説を書くには具体的な記述を行うことが大切で、よりリアリティがある文章を書くためには「見る」力が不可欠だろう。評論を「読む」ことも同様で、読む「深さ」と見る「深さ」は同様であり、評論も小説もこれは同じと言える。

 最近流行りのUXやデザイン・シンキングもユーザを「見る」、ユーザをヒアリングすることが重要視されており、この類似性に気づけたのが面白かった。カメラは能動的だが、確かに絵を書くとなるとそれに対してとても能動的に線・形・色等を意識するようになる。僕の水墨画は先生のマネ、よく言えば模写をしているだけなので対象物を注視することは無いが、それでもわかる。

 一方華道は、デッサンとは「見る」ということに注力していないと感じる。イマイチ説得力は無いが、全体のバランスを考えているだけだからかもしれない。先生は違うのだろうか?花を注意しているだろうか? とはいえ草月流にもデッサン+華道というレッスンはあり、それなどは「見る」力が養われる気がする。

 ともかく、最近のビジネスで重要視されているデザインシンキングに「見る」力が重要なのであれば、それを養うと思われるデッサンを学ぶことはとても効果的ではないだろうかと考える。

 

とりあえず図書館にいることについて

 研究室にいたときもそうだが、とりあえずその場所に行くことが大切だと考えてる。無駄なことも散々しているが、12時間いれば、7~8時間は研究していた気がするし、図書館も同様に全ての時間を勉学に費やさなくても良いと思う。効率を求めることは重要だけれど、特に僕は息切れするし、最高率を求めるより時間のボリュームをどうやって投資するかの方にフォーカスしたほうが、結果として投入時間量が増えてうまくいく気がする。つまり、選択と集中だ。

 

音楽

屋久島の自然の音楽を聞いているが。これが一番集中できている気がする。自然不足なのだろうか?

 

目標

毎日頭が疲れることを目標にしたい。むしろ疲れたら終了とする。これを毎日できればどこまでも成長できるだろう。難しいけれど。