草月流の展覧会に行ってきた

 華道の先生に教えてもらい、日本橋高島屋で行われている草月流の展覧会に行ってきた。華道を習って4年になるが、初めて参加したが予想外に良かった。20点くらいの作品を飾るのかと思っていたら、予想に反して100点以上の大小の作品が展示されており、人の数も多く、短い時間ではあったけれど入場するのに並ぶ必要があったほどだ。

 男性一人で来ている人は僕くらいで、大体は華道を習っている女性とその旦那のようであった。作品は素晴らしく、自分自身が生けることを想像すると今後に活かせそうに思えた。加えて、草月流のコンセプトについて思ったことがあるので書きたい。

 

僕は自然主義を恐れていて、人工的なものを目指している草月流に惹かれている。

 作品を見ていく中で非常に人工的な作品、感覚ではあるがSFのような作品に惹かれることがわかった。そういえば初代家元である蒼風先生も、華道が野に咲く花のようでは意味がないと言っていた気がする。というのも、野に咲く花のようにするのであれば、そのままにしておけばよく、自然な状態を超えることはできないのだから、華道にて行う必要はない。すなわち、自然主義を否定し、人工的な要素を組み込むことを肯定していると理解して良いだろう。

 自然主義への否定意識が強い僕にとって、そのようなコンセプトとても共感できることろであった。自然主義や懐古主義はいつの時代もはこびっており、もちろん過去に素晴らしいものがあることは理解しているため、完全に否定することはしない。弁証法だと、過去は繰り替えすが全く同じものでなく、螺旋階段のように同じ場所だけど階が異なるというような、進化を繰り返していくため、過去を振り返ることはとても重要だと思う。

 

自然主義は思考停止のリスクにつながるのでは

 ただ一方で、思考停止につながるリスクを恐れている。全く新しいものを作ることに比べ、過去や自然は既に存在しており具体的に理解することができる。それは思考力が弱い人や、考えたくない人、変わりたくない人にとって魅力的な考えだと思う。自然に帰れば良い、過去と同じようにすればよいというのは、

現実(テーゼ)と過去(アンチテーゼ)のギャップから止揚するというプロセスで文明は進化していると理解しているが、容易な思考停止に陥りがちな自然主義、懐古主義加えて宗教も思考停止を促す気がする。革新主義という名前があるかわからないが、止揚を目指す考えこそ最も思考停止に陥りにくく、皆が目指すべきところな気がする。自然と過去と現実も全て包括して、皆が満足する新しい未来を作り上げていくことが望まれる。

 

 自然主義への懸念がある僕にとって、人工的な芸術作品を目指している草月流は僕にとってコンセプトレベルで共感できるものであった。