二週間寝込んだことで大きな学びがあった

 コロナにかかり一週間寝込んだ。加えて味覚を失うなどの後遺症で実質二週間は不自由な生活をしていたといって良い。これ自体は辛い出来事であったが、それよりも考える切っ掛けを与えてくれたプラス面が大きかったので備忘録も兼ねて詳しく書きたい。

 

①味覚を失ったことで、食事が与えてくれる楽しみを知った

 もともと食事に対して興味がある方ではなかった。大学の先輩からも「食に興味ないよね」と言われたことがある。食事と文化・歴史は結びついているため、学問的な興味を持つことによってある程度興味を持つことができるようになった。また、妻は食事に対してこだわりが強いので「そこまでこだわる必要はあるのだろうか?」と思いつつ食事を重ねていた。

 食への興味がある人と関わる中で自分の興味の薄さを痛感する日々が続く中、コロナにかかり味覚を失った。病気のときは自分の大好物を食べるに限ると高級な牛たんを買ったが全く美味しくなかった。想像の中の味をイメージすることでなんとか食べ切れたが食事が辛くなった。またからあげを食べても味がなく途中で諦めてしまった。しかし想像の中ではからあげとマヨネーズの油が恋しく、味わえない日々を過ごす中で味を楽しめる喜びを確認することができた。食事は本能的にも生活に喜びを与えるものだ。であるのでこだわる人がいるのも今ではわかり、食事で喜びを得られることに感謝し、大切にしていきたいと思った。

 

②何もしない時間を過ごせた

 丸2日は会社を休んでベッドでひたすら寝ていた。こんなことをした記憶がなく何年ぶりかの完全休養を取得した。どことなくスッキリした感覚にもなり、気持ちのリセットができた。これは大きなプラスだった。

 

③自宅にいるのも悪くないと思えた

 僕は多動性もあり、家にいてもつまらないので刺激を求めてできる限り外出するのを好んでいた。しかし今回二週間ほぼ外出を控えることになり、強制的に家に隔離をされた。ゆっくり本を読む時間を設けてみたがとても心に良いと感じた。刺激を求めて精薄な感想を積み上げていく日々に嫌気もさしていたのかもしれない。空気清浄機をつかった部屋で静かに読書し、思想を深めることが今の僕に必要だったと感じられた。今ではほとんど外出せずすっかり部屋の主になった。

 

④空気清浄機を使うことで都会でも生きていけるような気がした

 最近都会の空気の汚さが鼻について苦しくなっていた。そのため都心ではなく、郊外に家がほしいなと思うようになっていた。三鷹では都心と変わらない気がするので、立川いや高尾まで行く必要があるかと悩んでいた。またリモートワークが進んで来ているので郊外でも負担が少ないだろうとの考えもあった。

 しかし空気清浄機を前回で動かして二週間家にこもってみると、外の空気より家の空気のほうがきれいだと感じられた。理想を言えば山梨のきれいな空気を感じられると良いのだが、それは難しいようだ。80万円を超える空気清浄機なら可能らしいが、そこまでは投資できない。それでもある程度はきれいな空気は感じられ、外よりも家の中のほうが快適とも思えるようになった。そうすると空気清浄機さえあれば都心に住んでも良いかもしれないと思えるようになり、選択肢が大きく広がった。これはとても大きいポイントだった。

 

⑤病気で無いことのありがたみを学んだ

 40度近い熱を出したので、全身が痛く、寝すぎて激しい頭痛もあり、思考がまとまらないなかで会議をギリギリこなしていた。「この頭痛があったら知的労働はできない」という不安が頭を常によぎって不安な日々を過ごしていた。幸い頭痛はなくなり問題ない日々を過ごせるようになったが、病気時に調子が悪い妻の面倒を見ること、そして仕事をこなすこと、そして病気によって人がどれだけ不安になるかを改めて実感できたのは良い点だった。人間健康が第一で、病気でなければ何でもできると強い自信を持つことができた。またもともと病気の人は絶対に助けるようにしていたが、改めて病気の人に優しくしようと思うことができた。

 

 

 

 

若いことを思い出して、なぜ同じようにできないのか考えた

若さを失ったことに気がついて

 仕事終わりにふと若いときは仕事に全力で他のことを考えなかったことを思い出し、今の自分とのギャップを感じた。仕事をしたことがない若者時代は全てが新鮮でおとなになった実感もあり、毎日成長している感覚がったので、仕事に全力だった。今は少し全力で取り組むとすぐに休んでしまいたくなってしまう。この前も中期計画を作成したらしばらくやる気を失った。若いことであればもっとこうすればよかったとか、達成感で「飲みにくぞ!」となっていたと思う。

 

時間が有限という焦燥感が集中力を鈍らせる

 また、ふとテイラースウィフトの「22」のPVを眺めていると、これこそがわかさだと思える映像にあふれていた。20代後半の僕もテイラースウィフトにハマっていたことから、そのときの気持ちも相まってとても心に来た。羨ましいと思うとともに、少しは取り戻せるのではないかと頭を悩ませ、まず「若さ」とは「集中力」だと考えた。勉強や恋愛だけを考えているなど、少ないトピックに集中していたと思う。年を取ると時間の有限さを実感し、可能性は無限ではなく、今何かに集中することは他の選択肢を失うことだということがなんとなく心の片隅にあり、それが焦りを産み、何かに取り組んでいたとしても「これで良いのだろうか?」という思いに繋がり集中できない。これに対し一つの絶対的な答えが子育てであり、金儲けが準ずる。金儲けを否定するのは家族関連のことしかないと思う。さて、この集中力が今回の議題だ。どうすれば年をとって時間が有限な中でも焦らず一つのことに取り組めるだろうか?

 

インターバルトレーニング形式を採用したい。

 集中力がない人間は何も成し遂げることができないし、インターバルトレーニングが最も効率が良いので、理想を言えば3ヶ月程度はワンテーマに一つのことに打ち込むというスタイルを実現したい。そのためにも焦りをなくす方法を考えたい。

 

80点で良いというメンタルセットで解決をする

 この記事を書いて焦燥感の源泉がわかったことが大きい。なにかに取り組んでいても他にもっと良い選択肢があるのではないか?という気持ちが焦燥感を呼び、スマホでの情報ザッピングに駆り立てるのであれば、メンタルセットとして常に80点で良い、質より量が大切という気持ちを持つことがだろう。実際もっとベストな方法はあるかもしれないが、80点取れればよい、また三ヶ月くらいのミスであれば取り戻せるという気持ちでいれば焦りは減るだろう。

 

Apple watchスマホ依存症を対策する

 愛用の中国製スマートウォッチがとうとう壊れたので、Apple watchを購入した(中古)。狙いはスマホ依存症を改善することだ。僕はツイッター依存症だ。上記焦燥感があるので、快楽の限りを尽くしていないか、もっと楽しいことがあるのでは、もっと人生が良い方向に向かう方法があるのでは、と常に情報を探していた。これはこれで悪くはないがこれだけで疲れてしまうという問題があった。もっと楽しいことは見つかるかもしれないが我慢が大切だろう。

 

集中して取り組みたいテーマ

ギター、格闘技、仕事、語学、いろいろなやりたいことがある。スマホ依存症をやめるとともに、焦燥感の源泉と向き合い取り組んで行きたい。

 

 

 

家は入口が一番大切

 瑞巌寺をご存知だろうか?そう松島にある伊達政宗公ゆかりのお寺だ。先程訪問したが、夜のため入ることができなかった。しかし入れた部分だけでも、道の作りが雄大で、特に切り通しのような大きな石に挟まれた部分は、尊厳な雰囲気があった。まさに「ここからは違う世界ですよ」ということを明確に示されており、気持ちが引き締まった。これは伊丹十三が言っていた「正装をすることによる縛られる爽やかさがある」という言葉にも通じて、良い服を着た瞬間世界が変わるということと言える。

 覚悟を決めるとか、今は違う場です、TPOをわきまえる、こういった言葉に最近惹かれている。何事にも線引が重要ということを最近実感しており、脳の作り的にもマルチタスクは苦手なことはわかっているため、2時間で2つのことを意識するよりも、1時間で1つのことを二回行ったほうが効率がよい。2つの授業を同時にされたらみんな困ってしまうだろう。だから時間というものがある。

 「場」を切り分けるものの一つに、「入口」がある。住む家で言えば、家の外と内を分ける。より切り分けるために、厳かな門を気づいたり、人を配置することもできる。入口でここからは違う世界、例えば安心できる世界ということをより意識できるようにすることで、オンとオフをちゃんと切り替えられる。なので、家は入口が一番大切ではないかと思う。

 極論を書くと、外とひと続きの家があったらそれは入口が無く、どこから安心できる空間なのかわからなくなり、心の置き場が宙ぶらりんになってしまう。なので、世界を切り分け、気持ちを用意に切り替えられるような入口こそが家で一番大切な要素ではないかと思った。瑞巌寺や切り通しのような入口があれば誰だって気持ちが変わるものだろう。引き締まるかはわからないが、ここは今までの場所とは違うと思わせることはできる。それこそが一番大切な役割だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京の夜はうるさすぎる、そして責任を取る喜びについて

東京の夜はうるさすぎる

 昨日は東京から離れた街に止まった。とても田舎で、コロナの影響もあり車も人通りもとても少なく、街の大きさに対して人が少なく、規模は大きく違うが昔中国のオルドスで見た鬼城を彷彿とさせた。

 街を歩居ている中で、とてもスッキリとした気持ちになった。それはなぜだろうかと考えると、情報量が少ないからだと思い当たった。まず音が少ない。2つ目に人が少ない。人が一番興味を持つことは人なので、人がたくさんいると気になってしまう。僕は田舎者だからなおさらそう思うのかもしれない。そして看板が少ない。東京は建物も大きく、密集している。特にぼくが住んでいる西新宿は特に情報が多い。

 夜は静かに過ごすべきだろう。家でじっくり過ごし(外に出てもなにもないし・・・・)、自分との対話を行う。そして昼間は外に出る。これこそが人間のあるべき姿の用に感じた。オンとオフとも言えるが、夜はオフで昼はオン。そしてオフには内省する時間が必要。東京の都心に住んでいると、夜も多くの選択肢がある。そして非妻も選択肢がある。それは=情報が多く、選択を悩ませ、集中力を弱くすることに繋がる。僕は毎日楽しいことはないか携帯で探している。これは時間の無駄だということは僕にもわかっている。

 別荘がほしい。今まで興味はなかったが、夜が静かな場所で暮らすと内省もでき集中力が増すのでは無いかと思う。軽井沢か八ヶ岳が良いかな。

 

 責任を取るとは選択肢が減ることである、それに喜びを感じる

 責任をとることはその責任にリソースを割くことであり、選択肢を減らすことだ。例えば結婚は彼女以外の女性を探さないことであり、それは選択肢を減らすことだ。お金の使いみちも制限される。それは苦労を伴うが、一方で山のように選択肢がある自分にとって喜びも感じるものであった。そして責任を取る、取れるというのは男としてかっこ良いとも思える。

 僕も適切に責任を取り、選択肢を狭めていくフェーズに入ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面接を通して、ビジネスから離れていることを感じた

転職活動で事業開発職の面接を受けた。

その際に、どうやったら儲かるか、誰をターゲットにして、どのようなお金のフローで稼ぐか、といった金儲け中心の質問・会話をした。今の会社に入ってから金に直結する仕事をしていないため、とても新鮮だった。昔は「1000万ってこれくらいの厚さですかね?笑」と言いながら先輩と提案書を書いたものだ。そして僕が仕事で一番好きなのは、①提案が取れたとき、②提案しているとき、③見積もりを作成しているとき、で金という絶対的正義の数字を上げることは何よりも好きだった。そしてアドレナリンが出たのを覚えている。後は納品したときか。

 受験に合格したときもそうだが、やはり誰もが認める実績を出すことで得られる満足感はある。それはとても努力がいることだが、やはり成果を上げることの満足感は何者にも変えがたいことを思い出した。

 それを踏まえて、今の会社に残るかを考えたい。

 

 

 

書評:ヨーロッパ退屈日記

この年末年始で伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」を読んだ。

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60年前の本であるが、今読んでも本人の思考や当時の風潮について気づきがあり、学びが多い。筆者は白人崇拝の念を持ち、特に西ヨーロッパに憧れを持ち、アメリカや日本を下に見ている。ただ、1960年頃は文化面でイギリス、フランス、イタリアが優れていた時代だったのかもしれない。そして情報が限られていた当時においてこの生活や仕事に根ざした本は衝撃を与えたことを想像に難くない。

 率直な感想としては「粋」「かっこよい」「正統」という言葉が浮かび、個人的には憧れを頂いた。貴族趣味を礼賛しており、貧乏くさいものは嫌だと言っており、中途半端に着飾っているものはミドルクラスと詰っている。より洗練さえたものである、正当な服装、食事、発音、運転、そういったものを褒め称えている。コストパフォーマンスではなく、本当に美しいもの、かっこよいものを目指し褒め称えるという姿勢は純粋であり、貧乏そのものではなく「貧乏が故に」という妥協が入り交じることで純粋でなくなることを毛嫌いしている筆者の考えは、共感できるものであった。

 

 以下気になった部分を書く。

・現在の映画が撮影所製の段取り芝居の粋を抜け出て「実在性」を取り戻そうとするなら、私の場合、その推進の軸は「日常性」をおいて他にないと思います。

・旅行者への些細なふるまいから、その国に対する確固たる印象を作り上げているので、旅行者へ接する際にはその国を代表していると思わねばならぬ

・正装の快感:個人に格式を強制してくる社会というのは嬉しい存在ではないか。日本とは逆である。日本では、個人が社会に格式を要求せざるを得ない。同然なんの効果もなかった。

・正装をするというのは愉しいことである。社会の掟に進んで身をまかせ、自らを縛する、というところに、一種の快い、引き締まった安堵がある。タキシードを着て凛々しい快感を覚えぬ男がいるだろうか。汽車の中でステテコ姿を養護する人がいるが、彼など、正装した時の精神的な爽やかさを知らぬものとしか考えられないのである。

・わたくしとても最初から正装を好んだわけではない。仕方なく着せられて味をしめたに過ぎない。正装というのはそういうものである。着れば必ず味をしめるのである。やはり本来的なもの、正統なものには、誰しも共感するのである。社会が個人に正装を矯正する意味は、まさにここに存在する。つまり、みんなが味をしめるようになればよいのだ。

・正統なものを中心に据える。当然のことではありませんか。「お洒落」という、いささかインチキ臭い言葉よりも身嗜みということを大切にしようではないか。

中流階級は立派な店の店員をしていることがあるが、これは世間体のための仕事である。

・貧乏くさいものは嫌いである。貧乏そのものはなんとも思わないが、貧困に由来するもの、つまり「貧ゆえの」という感じがやりきれない。貧乏はしていても、貧乏くさいマネはいやだね。毅然たる構えがほしいね。ビートルズの幸甚に拝しても、物質的にも精神的にも自分を下層階級と証明する必要はどこにもないと思うのだが、

・いかにも「人間の知恵」というものをそのまま視覚化したような工合に、実にカラクリめいて嬉しいのである。いわば心が通うのである。この、寸分の無駄のない作品に、麗々しくイニシャルを彫り込むという神経、これは絶対に許すことができない。

・街、という、どんなにでも勝手気ままに穢くなりうるものが、あんなに美しいままの姿で存在し続けているという事実、これが実に信じがたく思えるのです。もしシャンゼリゼの一角に銀座をそっくり再現してみたら、これは一見スラム風に見えてくるのではなかろうか。

・なぜパリは美しいか:建物が石造りであるので建物の大部分を占める壁を快く処理、いかに快い物質感で埋めている。そして窓が縦長で数が多く、リズムが良い。更に建物の高さが大体そろっているので、建物の集合が一つにまとまっていて、巨大な建物が一つある、みたいな感じになる。ここに一つの単純化がおこなわれて、それがパリを美しくする一つの足がかりになっている。

・美的感覚とは嫌悪の集積である。

・偏見を得ようとするなら旅行にしくはない

・かつては美しかった、日本人の人情を失わないようにしようじゃないの。思いやり、気兼ね、遠慮、謙遜。こういったものは、世界のどこにも例の無い美しい国民性なんだ。例えば敬語と味覚だ。

・タキシードも英国人がロンドンで着ていると、ひどく地味な衣装に見えてくるから奇妙である。ここらあたりに、英国風のお洒落の真髄があるのかもしれない。つまり、絶対に華美であってはならない。斬新奇抜であってはならない。独創的であってはならない。個性的であってはならないのです。そんなものは独りよがりに過ぎぬ。

・イタリーは美しい国である。旅行案内風にいうなら「風光明媚」であるイタリーを思うことは、例えば過ぎ去った夏を思うに似ている。常に陽がさしているのだ。底ぬけに明るい陽の光が、いつもいつも満ちているのです。空が、トロリと青い。風が吹いて、樹々の葉がキラキラと光る。葡萄の畑、オリーブの丘がなだらかに、緩やかに起伏する。いかにも「粛然」という面持ちで、くろぐろと直立しているのは、あれは糸杉である。

若い人たちモーツァルトを単純、単調、冗漫だと思う。人生という嵐によって鈍化された人だけが、単純さの崇高な要素と、霊感の直接性を理解するのである。

・楽器というのは愉しいものである

 

集中力を上げるためにポモドーロ・テクニックに期待している

集中力を上げるために以下のことに取り組みたい。

・机の高さには徹底的に拘りたい。姿勢が悪くなると呼吸が浅くなり酸素量が減り、集中力が低下する。それに加え、首が痛くなる。僕の理想は机の高さ76cmだったと思うがその机がほしい。そしてそれは勉強の用途だけで使用したい。

・そして目的に対して汎用的な道具ではなく、全てその作業(目的)に対して道具を変える。例えば勉強用の机と文房具と部屋を用意することだ。1Rのマンションに住んで思ったが、何でもできる便利なものは雑念が入りやすい。台所が見えると料理のことが気になってしまう。

・具体的には、ダイニングテーブルとは別に新しい仕事用の机が必要に思える。またインテリアとしてはゴザは部屋にマッチしていないので絨毯に変えても良い気がしている。もともとゴザは集中力の向上を狙ったがもうい草の香りは消えたし、効果はないと思われるため不要。

・男らしさを求める。結局男らしさが一番のテーマな気がする。というのも、もともと男性は狩りをするときに集中しており、本能に近い男らしいことをやるときに集中力が増すはず。勝負すること、勝つこと、限界まで追い込むこと、夢を追うこと、栄光を手に入れること、そういったことを行わないと行けない。

・ポモドーロ・テクニックを駆使する。ポモドーロ・テクニックとは25分のタイマーと5分の休憩を繰り返すことで、アナログ時計の音がなおさら良い。

・デジタルデトックスを行う。明らかにtwitterやメールをチェックすることで仕事のパフォーマンスが落ちている。携帯をチェックするのは3時間に一度だけにするというルールにしたい。

・遠くを見るように(想像するように)する。なぜかはわからないが、前頭葉に意識を集中することで、遠い海や平原が見えるような想像をするのだが、視野が広くなったような感覚を得ることができ、集中力が上がる。

・自分を律することに価値を見出すこと。安易な快楽にまどわされず理性を駆使して、体調管理や勉学に取り組むことをかっこ良いと思うようになりたし。