家は入口が一番大切

 瑞巌寺をご存知だろうか?そう松島にある伊達政宗公ゆかりのお寺だ。先程訪問したが、夜のため入ることができなかった。しかし入れた部分だけでも、道の作りが雄大で、特に切り通しのような大きな石に挟まれた部分は、尊厳な雰囲気があった。まさに「ここからは違う世界ですよ」ということを明確に示されており、気持ちが引き締まった。これは伊丹十三が言っていた「正装をすることによる縛られる爽やかさがある」という言葉にも通じて、良い服を着た瞬間世界が変わるということと言える。

 覚悟を決めるとか、今は違う場です、TPOをわきまえる、こういった言葉に最近惹かれている。何事にも線引が重要ということを最近実感しており、脳の作り的にもマルチタスクは苦手なことはわかっているため、2時間で2つのことを意識するよりも、1時間で1つのことを二回行ったほうが効率がよい。2つの授業を同時にされたらみんな困ってしまうだろう。だから時間というものがある。

 「場」を切り分けるものの一つに、「入口」がある。住む家で言えば、家の外と内を分ける。より切り分けるために、厳かな門を気づいたり、人を配置することもできる。入口でここからは違う世界、例えば安心できる世界ということをより意識できるようにすることで、オンとオフをちゃんと切り替えられる。なので、家は入口が一番大切ではないかと思う。

 極論を書くと、外とひと続きの家があったらそれは入口が無く、どこから安心できる空間なのかわからなくなり、心の置き場が宙ぶらりんになってしまう。なので、世界を切り分け、気持ちを用意に切り替えられるような入口こそが家で一番大切な要素ではないかと思った。瑞巌寺や切り通しのような入口があれば誰だって気持ちが変わるものだろう。引き締まるかはわからないが、ここは今までの場所とは違うと思わせることはできる。それこそが一番大切な役割だろう。