東京の夜はうるさすぎる、そして責任を取る喜びについて

東京の夜はうるさすぎる

 昨日は東京から離れた街に止まった。とても田舎で、コロナの影響もあり車も人通りもとても少なく、街の大きさに対して人が少なく、規模は大きく違うが昔中国のオルドスで見た鬼城を彷彿とさせた。

 街を歩居ている中で、とてもスッキリとした気持ちになった。それはなぜだろうかと考えると、情報量が少ないからだと思い当たった。まず音が少ない。2つ目に人が少ない。人が一番興味を持つことは人なので、人がたくさんいると気になってしまう。僕は田舎者だからなおさらそう思うのかもしれない。そして看板が少ない。東京は建物も大きく、密集している。特にぼくが住んでいる西新宿は特に情報が多い。

 夜は静かに過ごすべきだろう。家でじっくり過ごし(外に出てもなにもないし・・・・)、自分との対話を行う。そして昼間は外に出る。これこそが人間のあるべき姿の用に感じた。オンとオフとも言えるが、夜はオフで昼はオン。そしてオフには内省する時間が必要。東京の都心に住んでいると、夜も多くの選択肢がある。そして非妻も選択肢がある。それは=情報が多く、選択を悩ませ、集中力を弱くすることに繋がる。僕は毎日楽しいことはないか携帯で探している。これは時間の無駄だということは僕にもわかっている。

 別荘がほしい。今まで興味はなかったが、夜が静かな場所で暮らすと内省もでき集中力が増すのでは無いかと思う。軽井沢か八ヶ岳が良いかな。

 

 責任を取るとは選択肢が減ることである、それに喜びを感じる

 責任をとることはその責任にリソースを割くことであり、選択肢を減らすことだ。例えば結婚は彼女以外の女性を探さないことであり、それは選択肢を減らすことだ。お金の使いみちも制限される。それは苦労を伴うが、一方で山のように選択肢がある自分にとって喜びも感じるものであった。そして責任を取る、取れるというのは男としてかっこ良いとも思える。

 僕も適切に責任を取り、選択肢を狭めていくフェーズに入ったのだろう。