論理と直感について

生活に関わる問題は論理より直感の方が判断ツールとして優れている

 論理と直感について書きたい。人間の脳は多くの要素から構成されている事象(複雑系)を論理的に分析できるようにはなっていない。例えば、結婚相手の候補がたくさんいるとして、100の要素について点数評価を行い意思決定をすることは非現実的だろう。一見論理的に見えるが、評価結果が正確かというとそうではなく、なんとなくという感覚(つまり直感)で評価したほうが選んだ相手に対する満足度は高い可能性が高い。そして普通の人間が生活で関わる事象は複雑系が多く、大半の判断においては論理より直感の方が正確と言える。一方で直感は非常に主観的なものであるため客観的に説明できず、評価もできない。そのため、人を納得させ動かすことはできない。つまり自分を動かすことはできても組織を動かすことには向かない。そのため結婚相手、大学選び、等の自分自身を動かすだけの決断に対しては直感が優れている。

 

孫正義は直感が非常に優れているらしい

 昔外資コンサルの面接で孫正義と仕事をしたことがあるパートナーと話したことがある。孫さんが直感で考えたことが大体正しく、我々外コンは理屈を後付しているに過ぎないことが多いと言っており、これこそ直感の勝利だと思った。ビジネスは複雑系であるので、直感の方が優れている場面が多いだろう。ただし社長だから直感での判断でも組織を動かすことができ、またそれでも組織を動かすためには後付とはいえ理屈を必要としている点には大きく留意する必要がある。

 

どうすれば直感を鍛えることができるのか

 直感のメリットや特徴について述べたところで、どうすれば「直感」を鍛えることができるのか?また直感だけに頼るべきなのか?という質問に答えたい。

 この2つの質問は関係があり、絶えず論理的に考えるように取り組むべきことが重要と考える。各意思決定において、「いくら論理的に考えたらA案だとしても、どうしても言葉で説明できない違和感があるのでB案にした」というケースを積むことだろう。その後、人に聞いても良いし、後日結果から答えがわかり理由を推測することで、違和感の理由がわかるはず。このような違和感の言語化を繰り返すことで直感はより鍛えられると考えられる。

 逆のパターンも有用で、「直感ではA案が正しいと思うが、理屈で考えると確実にB案なので違和感があるがB案を採用する」というケースも積むことで、後日の答え合わせて論理の誤りと直感との相違を認識することができる。

 

問題提起:母子家庭の娘はなぜダメンズを捕まえやすいのか?

 問題提起として、父親が不在の女性はダメンズを捕まえやすいという傾向も直感の理屈から説明できるのではないかと考えている。女性が男性を選ぶときに基準にするのは自分を愛してくれているかどうかだろう。でも「愛すること」を言語化、つまり客観的に評価したり説明することは難しい。「〜をすれば愛していることになる」の〜に入る単語は「婚約指輪をあげる」「家事」「レディーファースト」などなどあると思うが、婚約指輪を渡したからといって必ずしも愛していることにはつながらない。愛していること自体も複雑系であり、直感で判断するべき事象であるように思える。ではどうすれば直感で男性が自分を愛していることがわかるようになるか?それは父親からの愛が基準になるだろう。極論いえば男女関係無く男性が純粋な気持ちで女性を愛するのは父と娘の関係が基本であると思う(兄妹でもあるかもしれないが、一番多いケースは父娘だろう)。娘は父から愛されることで、父のように扱ってくれる男性こそ愛している人だと言語化できずとも直感で判断できるようになる。そうすると、母子家庭の娘は男性からの純粋な愛というものを知らないで育つことになり、友人やドラマで見た恋人が行う客観的に判断できる「行為」を基準にして愛を判断するようになる。「愛している男性はクリスマスにプレゼントをくれるものだ」、「そしてこの男性はプレゼントをくれた」、「なのでこの男性は私を愛してくれている」と結論づける。直感でなんとなく男性からの愛が変だと感じるべき場面においても、そもそも愛を知らないので愛されている事自体に疑いを持つことはできず、認知的不協和を起こし「男性は愛しているはずなのだから私が何か悪いに違いない」と導き、自分を攻め、かつ別れることもできない。

 一方母子家庭の男性はどうなのか?というと、これはこれで問題はあると思うが、女性よりは大きく扱われいない。例えば、父親を知らない男性が父親になる際にはどのようにすればわからず不適切な行動をしてしまうことはあると推測される。ただ、このテーマについては今大きな問題とは捉えていないため、いつか機会があれば考えたい。